= 第12話から第15話までの担当クルー紹介 =


みなさま、はじめまして!
国内航空FAの「ごん」と申します。
かれこれ5年の乗務歴になります。(早いなぁ)
特技:どこでも寝られる、夜更かし
おかげで、日々元気に乗務しています。

FAっていいな!と思ってもらえるような
エッセイを書いていきたいと思っております。
よろしくお願いします。


 

第12話 「忘れられないお客様」 - 18.Apr.2001-


今まで乗務してきて一体何人のお客様と接してきたのかしら?
一機に300人だとして、月に10便としたら・・・年間では・・・
そんな星の数ほどのお客様の中で忘れられない
ご夫婦を紹介させてください。

成田-シンガポール線にて。
搭乗中からケンカをしている外国人の老夫婦がいました。
離陸後、ケンカがさらに激しくなっている、と報告がきたので
行ってみると殴り合いをしているではありませんか!
FAのひとりが急いで止めに入り、ふたりを引き離しました。
事情を聞こうにも英語も日本語もわからないおふたり。
周囲の方に通訳を頼もうにも誰もわからないと言う。
何語なんだろう?

そのうちおばあさんがひとりで歩き出し、
他の空席を探している様子。
離れれば気も落ち着くだろう、とひと安心・・・のはずが、
周囲のお客様にちょっかいを出し始めているではありませんか。
お客様からは、なんとかしてくれ!と声がかかる状態。
折しもミールサービスも佳境、
気付くのが遅れてしまいました。
すぐに席に戻ってもらい、おじいさんに離さないようにお願いしました。

おばあさんは食事のトレーをひっくり返そうとしたり、
前の席を蹴ったり、大騒ぎ。
叩かれるたびにおばあさんはもっと抵抗します。
おじいさんはもうぐったり。

様子を見ていたひとりのFAが、
「おばあさん、痴呆症なんじゃない?」
確かに症状がぴったり。

そこでFAが交代でおばあさんの面倒をみることにしました。
徘徊に付き合ってキャビンを歩く。
(言葉はわかりませんが)話を聞く、など。

わたしはごはんを食べさせる役目。
スプーンを持ってもらい、手を添えて口に持っていく。
ゆっくりゆっくり、おいしそうに食べてくれていました。
すると何口目か、おばあさんはミールを
わたしに食べさせてくれようとしました。
ジェスチャ―で断っても何度も勧めてくれるのです。
一瞬びっくりしましたが、一口頂きました。
おばあさんの満足げな顔といったら!
彼女の優しさに一瞬でもためらったことを後悔しました。

その後、入国書類や乗り継ぎ便の確認のため、
航空券を拝見しました。
USA-NRT-SIN-カンボジア。
4回も乗り継いで故郷に帰るところだったのでした。

そんな長旅にすっかり疲れ果て、ヤケになっていたのでしょう。
おじいさんはパスポートケースに入れていた
ふたりの写真を突然ビリビリを破り始めました。
その場に居合わせたFAが破片を全て集め、
セロテープで貼り合わせました。
その写真はふたりが仲良く手をつないで微笑んでいるものだったのです。
ずっと大切にしていたのでしょう。
色が薄く褪せていました。
「こんなことしないで。」
FAのジェスチャーにおじいさんはがっくりうなだれていました。

おばあさんはFAの態度に反抗してひっかく、噛み付く、
などの行為もあったため、機長の判断により、
空港のセキュリティーに引き継ぐことになりました。
言葉の通じない異国でこんなことになり、
さぞかし心細いはず。
自分ができることは地上係員に引き継いで、
目的地まで行ってもらえるようにすること。
自分にそう言い聞かせましたが、
犯罪者でもないのに連行されていく姿を見て、
ものすごい後ろめたさを感じました。

無事にカンボジアに着けたのかしら?
またアメリカに戻れたのかしら?
今でも時々思い出します。


次回へつづく。。。。

(来週更新予定です)



 

第13話 「同業のニオイ」 - 27.Apr.2001-


なぜかクルーって見てわかるんですよ。
外国でも日本でも。
同業のニオイがするんです。

例えば、各地からクルーが集まるホノルル。
だいたい2〜3人とかで歩いていて、
みんな同じようにこぎれいな格好。
クンクン、このチームはJ○Lだわ。
ごはん食べに行っても遭遇。
べトナム料理のマイラ○なんてクルーの宝庫。
あっちのテーブルは○○から来たチームだわ。
とかね。

旅行者みたいにはりきっていなくて、
どこか慣れた感じ。(疲れ気味、時差ボケ気味ともいう)
世界のどの街に行っても
まるで地元のような雰囲気で歩いている。
それがクルー。
クルーのニオイを嗅ぎ分けてナンパしてくる人もいるから、
たいしたもんだなーと思いますよ。

日本人が少ない外国でクルーを見分けるのは簡単?!
日本でもわかっちゃうんです。
キーワードは "ブランド、華やか、ワイン"。

銀座なら1時間に1人(1組)は遭遇します。
マリオン周辺、4丁目交差点付近多いですねぇ。
だからヘタな人連れて歩けなーい。

同期とカフェでお茶してた時。
クルーのニオイががする4人組がいて、
耳をすませばフライトの小話。
やっぱり。
だって持ち物、着てるもの、クルーの間でのはやりものだらけ。

銀座のワインバーにいった時。
ワインについてアツく語ってる男性がいました。
その連れの女性、クルーのニオイがしたんです。
店員さんを介してその女性に話しかけました。
「・・・・・ではスチュワーデスさんかなにか?」
「そうですよ。あなたもそうでしょう?」
「なんでクルーってどこにいてもわかっちゃうんでしょうね。」
「同じ雰囲気なのよねぇ。」

最近は、クルーか否かに加え、
J○LとA○Aのニオイ嗅ぎ分けの術に磨きがかかってきたような・・・

他の業界にも「ニオイ」ってあるのかなぁ?


次回へつづく。。。。



 

第14話 「日本人って・・・」 - 2.May.2001-


この仕事を始めて、日本人を客観的に見るようになりました。
日本人って、ちょっと特殊かな、って思うんです。
外国人にはなかなか理解できないことが多いですよね。
「言葉が乏しい、自分を表現するのが下手」
それが日本人と思われていて。でも否定できないんです。

搭乗中、挨拶しますよね。
「こんにちは」「いらっしゃいませ」などなど。
外国人の方はほとんど返してくださいます。
しかし日本人はあまり返答なしです。
目を合わせてご挨拶しても、というか目が合わないんですよねぇ。
外国人の友達も、なんで日本人は挨拶しないの?と不思議がってました。
ちなみに中年のオジサンオバサン(失礼!)は返事率高いです!

ありがとう、お願いします、もない人が多いですよ。
外国人はかならずThank you やpleaseつけてくれるのに・・・
FAも人の子。丁寧に言ってくれればお互いもっと
気持ちよく過ごせるんですけどねぇ。

不満があってもその場で言わない。
数時間黙っていて降機直前に言うとか。
言わなくてもわかって欲しい、
っていうのは外国では通じませんよ。
言わなきゃ、自分で行動起こさなきゃ!

子供のしつけもちょいと違う。
ミールトレーを出した時、外国人だと自分で
Thank youを言わせるけど、日本人はお母さんが
ありがとうしちゃうんだから。

以上のことはもちろん全員に当てはまることではありません。
日本人のいいところもあると思います。
国民性といっても、こういうのって、いいことではありませんよね?
少しずつ日本人も変わっていってほしいなー、と思う今日この頃。

明日のお客さんたちはどんな人たちなんだろうー。


次回へつづく。。。。

(来週更新予定です)

 

 

第15話 「クルーっておもしろい!」 - 10.May.2001-


FAって食事配るだけでしょ?飽きないの?
そう言われたことがあります。
ちが―う、違う。
FAって機内でいろんな仕事をしているんです。

まずは、ウエイター、ウエイトレス。
まぁ、これがみなさまに一番なじみのある姿。
飲み物配って、お食事を配って・・・。
それが終われば免税品売りの店員さん。
各国通貨を巧みにあやつり、お札のカウントもお手のもの。

サービスが一段落すればお掃除のおばさんに変身。
床にゴミが散らかっていればきれいに拾い、
トイレが汚ければ掃除。
とある国へのフライトではトイレが汚くなることで有名。
掃除するのが憂鬱だったりもします。

病人発生の知らせを聞けば救急隊員に!
メディカルキットを持って駆けつけます。
意識、呼吸、脈拍、出血の確認をして、
救急看護の知識をフル稼働させます。
酸素ボンベだって使いますよ。

子供がいれば、お相手する保母さん。
ロングフライトだとご両親も疲れます。
絵本とおもちゃを武器に子供と遊ぶ!遊ぶ!
わたしは男の子と遊んで、キック&パンチで痛めつけられたことが・・・
でも子供と話していると、大人になって見失ったものが見えるんですよね。
こどもの純粋さに触れるひととき。

そして・・・あってはならないことですが、
機内、または飛行機に異常が起こった時には
ニコニコ笑顔も一転、保安要員に。
これがFA本来の仕事であるわけです。
いかに安全に、そして快適に過ごしていただくか、
日々知識を確実にしています。
お客様の命を預かる、大事な仕事。
そういう誇りを持って、今日も世界の空を飛んでいます。


4話読んでいただいてありがとうございました。
なんだかまとまりのない内容のまま終わってしまった感じです。

いろいろな感想があるかとは思いますが、
一FAの意見として受けとめていただければ幸いです。
何かご意見やご感想がありましたらこちらまでお願いします。

ごん


gonn_crew@hotmail.com






 



Australia
( Photo by (c)Chiaki )
 







= 第16話から第19話までの担当クルー紹介 =



はじめまして、ヤコと申します。
外資系のエアラインにて働いております。
日本を離れてもうすぐ10年目を迎えてしまうので、
かなりの浦島花子状態(死語?)です。
この職業に就いてまだ3年目なので、大した事は書かけませんが、
少しでもみなさんにほおおおおっと言っていただければと思っております。
どうぞよろしく。


 

第16話 「制服の威力」 - 17.May.2001-


この仕事をしていてつくづく思うのは、制服って何というパワーがあるんだろう、
と言う事です。まあ、それぞれの会社で色々工夫してとっても可愛いものとかも
ありますが、うちのは色も悪く、生地も安物なので手入れがとっても大変です。
誰一人として制服が可愛くてという理由で入社した人はいないと思います。
(デザイナーさんごめんなさい)

そんなことはさて置き、パワーについてです。

私が以前住んでいた家には地下にプールが付いていました。
(といってもこちらのマンションには付いてるのが当たり前だったりするので、
わたしがお金持ちなどと勘違いしないように。)
フライトがない時などは、ゆっくりする為に、
よくジャクジーとかに入りに行ったりしてました。

ある日、仕事がオフだった私は、やる事もなく、エクササイズだわ!
と決めて下に降りていったのでした。
1時間ほどジャクジーにつかり、プールで熱を冷まし(実はあまり泳げない)、
サウナにも入って、干乾びたまま、もちろんスッピンに、髪はぐじゃぐじゃ、
破れかかったTシャツにへぼいサンダルで部屋に戻るとこでした。
コンタクトもしてなくて度が合わないめがねをかけて、ほんとに困ったおばさん、
いえ、お姉さんって感じでした。

ちょっと恥ずかしいかしら?っていう気持ちも少しはあったのですが、
でもみんなどうせ知らない人だもーんと割り切って、
エレベーターを使って上がっていきました。
そういう時に限ってカッコイイスーツを着たビジネスマンとかが一階で乗ってきて
しまったりするのです。(ちなみに私は独身です)
そうです。その日もそんなカッコイイお人が乗ってきました。

その人は一階で私を見るなり<うっ>って感じで、
今にもエレベーターを一本見送りそうな雰囲気。
でもあきらめて乗って来たのでした。
取りあえず<Hi!>の言葉を交わし、私は内心 <これは出逢いだわ>などと
勝手に思い込み、何か話し掛けられたらどうしましょうってどきどきしてました。
しかし、その人は私の事も見向きもせず、そそくさと自分の階で降りていきました。
<ふん。私の魅力に気付かないおばかさん>っとなげ台詞を唱え、
部屋に戻った私はバスルームに移った自分の姿を見てあららと納得したのでした。

その数日後、国内のフライトを終えた私は制服のまま帰宅したのです。
もちろん化粧もばっちり、髪の毛もきれいに整えて。
そしてまたしても例のビジネスマンとエレベーターに乗り合わせたのでした。
彼は私がこの間の女だとはこれっぽちも気づくそぶりもなく、話し掛けてきました。

<そうですかあ。xxエアラインの人ですか。初めて会いますねえ。
今日はどちらまで?ここには長く住んでるんですか?>などと聞かれました。
私ももちろん飛びきりの営業スマイルで答えました。
そしてエレベーターが彼の階に止まりました。彼は降りるのをとても名残惜しそうに
(開くのボタンを押したまま)、ぼくはxx号室に住んでいるんです。
今度暇だったらお茶でも飲みに来ませんか?ですって。
私も調子良く<sure>などと言って別れましたが、誰がお前なんかと思ったのでした。

この様に制服を着てるだけで、ころっと変わる人がいっぱいいます。
バスで席を譲ってくれたり、ドアを開けといてくれたり、おまけしてくれたり、
わけもなく微笑みかけてきたり。
ま、お得な時はそれを利用していますが、普段のスッピンの汚い格好の
私だったらこの人はどうするだろう?と一人想像したりして楽しんでいるのでした。
以上、制服なしでも十分いけると勝手に思ってるヤコでした。

次回へつづく。。。。
(来週更新予定です)


PS
通常,エッセイ最終回にメールアドレスを公開するのですが,
感想やご意見をどんどんお聞きしたいので,早速アドレス公開しちゃいます。
皆様からのメールお待ちしてます!


neige_k@hotmail.com





 

第17話 「コミュニケーション」 - 25.May.2001-


お客様とコミュニケーションを取る際に言葉というものが
大切だなあって実感した事が多々あります。
こんな私でも一応3カ国語プラスアルファぐらい話せるのですが、
その言葉を話さないお客様が乗って来られた時は大変です。

先日もある小さな国からのお客様が乗ってきました。
おばあさんに近い年齢だったと思いますが、娘さんに合う為に意を決して
一人で飛行機に乗ってらしたということでした。
私どもの会社では、共通語を話せず、コミュニケーションが困難な方に対しても、
怪我をされてる方やお子様の一人旅、又は障害を持つお客様同様に、
特別なケアーを心がけております。
このような方の場合、通常は機上、地上での引継ぎを行い、
乗り継ぎがある場合には最終地点でお迎えの方に会われるまでの
面倒を見させていただいております。日本語ONLYなどのお客様の
場合などは全く問題がないのですが。。。

その日、このお客様も一般客よりも早い搭乗をされ、
グランドの方に付き添われてきました。
XX語ONLYの書類を受け取り、その日は私が機内の
特別ケアーを担当していた為、そのお客様のお世話を頼まれました。
ま、お世話といいましても、機内ではお節介にならない程度、
特に安全面におきまして注意をする係なのです。
まずはシートベルトやマスクなどの説明をしたのですが、言葉が全く通じません。
そしてとても不安そうな顔。あいにく機内にも地上にも
誰もその言葉を話せる乗務員はおりませんでした。
せめて一言でもその国の言葉を知っていたら、
このお客様の緊張を和らげてあげられるのにと思いました。
仕方なく私は身振り、手振り、おまけに絵まで書いて
汗だくになって説明をしたのでした。
その情熱が伝わったのか、早く終われと思ったのか、
そのお客様は大きな笑顔で私の手を取り、
ある言葉を繰り返し言いながら、うなずいたのでした。

ところがいざシートベルトサインがつき、安全設備説明のビデオが
流れ出したとたん、そのお客様は立ち上がり、どこかへ行こうとするのです。
他のフライトアテンダントが注意をして、座るように言うのですが聞きません。
すると機内を見回し、私を見つけたと思いきや向かってくるではありませんか。
笑顔で何かを言いながら、私の手を取って何かを言おうとしています。
とにかく危険なので座らせないとと、彼女の手を取って一緒に席まで行き、
座らせました。納得が行かないようでしたが、私の真剣な目を見て、
言いたい事はわかってもらえたようでした。

それ以来、機内では彼女の事になると、クルーみんなが私を呼びました。
というか、このお客様が私を呼んでいたのでしょうか。
私を見つけると立ち上がり、うれしそうに何かを言おうとするのです。
言葉は通じなくても、何故か心で何が言いたいかわかったりするんですよね。
トイレはどこかとか、お水が飲みたいとか些細な事なんですが、
ちゃんと目を見てその言葉を聞いているとわかる気がするのです。
そのうち私もいくつかの言葉を覚えてきました。
特に問題のあるお客様ではなかったのですが、
暇があると遠くからさりげなくチェックをしておりました。

実際何をしてあげたという事ではありませんでしたが、
フライトが終わりこんな事がおきました。
彼女はまだ乗り継ぎがあったので、地上の人と引き継ぐ為にお連れしようとした時でした。
手をぎゅっと握られ、目をうるうるさせながら何かを言ってるのです。
はっきりとはわからなかったのですが、感謝してくれてるんだなあって思い、
笑顔でうなずいていると、突然ぎゅっとhugをされました。
そして最初に言われたのと同じ言葉を繰り返したのでした。
それは、<ありがとう>だったのです。
なんだかとっても嬉しくなりました。

この事は今でも心に残ってます。言葉が通じないからとあきらめるのではなく、
少しの努力をした事により、この尾客様の心の不安を少しでも取り除く
事が出来たんだなあと思います。もし仮に私の母が、一人で遠い外国に住む
私に会いに来る事を考えると、この方がどれだけ勇気を振り絞って
フライトにのぞまれたかが想像できます。
これからもより多くの言葉を学んでいきたいと思います。


次回へつづく。。。。
(来週更新予定です)



 

第18話 「ミールのサービスについて」 - 30.May.2001-


他の航空会社はどうしているのかわかりませんが、
うちの場合ミールのチョイスがなくなる事が結構あります。
人数分はきちんとあるのですが、その日によって牛肉が人気だったり、
チキンが人気だったりしてご希望にそえないこともあるのです。
そんな時のお客様の反応もそれぞれですよね。
エコノミークラスのお客様は、むっとしたり、文句をいう方も中には居りますが、
たいていあきらめて食べて下さいます。
一番対処に困ってしまうのはビジネスやファーストクラスなのです。

一度こんな事がありました。
うちの会社がほぼ悪いのですが、ビジネスクラスで日本食がすごく売れてしまった事があり、
どうしても一人の方に日本食をあきらめていただかないといけなくなりました。
もともと全員分2、3種類ずつの食事を用意すれば問題は起こらないのですが、
会社も予算がある事ですし、そうはいかないのです。
毎回みなさんが希望の食事にありつけるかが、私どもの悩みの種の一つになっております。
と、嘆いたり、会社の文句を言ってても仕方がありません、食事は現に足りないのですから、
とにかくあきらめていただく一人を決めないといけません。
その一人を決めるのは、心苦しいですが、やはりメンバーの段階によるものでした。
つまり頻繁に乗っていただいてる方でなく、たまに、または始めて乗っていただいた
方などから選ばせていただくのです。
(クレジットカードでいえばゴールドカードか、一般かの違いですね)
この日は偶然にも一人のお客さま以外はかなりのお得意様ばかりでした。
そして不運にも当たりくじをひいてしまったこのおばさまは、
どうやらアップグレードをされた感じでした。

こんな時、日本語を話す自分をうらみます。
こういう謝罪はやはり私達の仕事です。チョイスが無くなってしまった事を説明し、
謝罪し、何とか洋食で我慢していただけないかとお願いしました。
すると見る見るうちに顔色が変わり、<私は日本食でないなら食べないわ>
とおっしゃったのです。
それでもお願いをしたのですが、今度は無視を通されました。
仕方なくギャレーに戻り、上司に話すと、それでは他の客にも聞いてみてくれとの事。
男性のお客様でかなりのマイレージをお持ちの方に、
何とかお願いする事が出来ました。
この時はこの方が天使にみえました。

そして飲み物のサービスが始まり、リクエストなどを聞いていると、
このおばさまがしつこく他のクルーに、私は日本食よと言ってるというのです。
再び私が行き、日本食は大丈夫ですと説明すると、
<ふん、当たり前よ!>という態度でした。
それから私がどんなサービスをしても、このおばさまはありがとうも言わず、
むっとしたままでした。
せっかく御希望にそえるよう頑張ったのになあっと悲しかったです。
ところがもっと驚いたのは、このおばさまのほかのクルーに対する態度です。
日本人である私には、外人が見てもひどいという態度であるのに、
外人クルーに対しては笑顔で
<thank you> <please>などとしてるというのです。
なんかがっくりしてしまいました。
他のクルーもこのおばさまの私に対する態度には
憤慨してくれてましたが、理解できない様子でした。
これも日本の文化の一つなのかなあとため息をついたのです。

飛行機には色んなお客様が乗ってこられます。皆さんの気分も様々です。
こんな時は、ある本で読んだフレーズを思い出します。

<Let Others Have the Glory.>
きっと今この人にとってはこの食事が死ぬか生きるかの大問題なんだ。
日本食が食べれないと死んでしまうくらい大変な事なんだ。
そんな人には食べさせてあげればいい。
でも今の自分はそんなことで悩まなくてすんでよかった。
食事なんてまた次においしいもの食べれればいいと思える自分でよかった。

その後も無視されたり、きつい態度をされながらも
他の御客様と何ら変わりない接客を心がけました。
まわりのクルーはそのうち気を使って、私の代りにそのおばさまを
サーブする事を申し出てくれましたが、私はきちっとやりとげたのです。
そして目的地につき、皆様にさようならの挨拶をしていると、
その例のおばさまが一言私に言ったのです。
目も合わさずに、<どうも>と。
他の外人クルーに対してthank youというのでなく、
この私だけに日本語で。

誠意を持ってすれば伝わるものもあるんですね。
まだまだ日本も捨てたもんじゃないじゃない!
と勝手に思った私なのでした。


次回へつづく。。。。
(来週更新予定です)



 

第19話 「フライトアテンダントになるまで」 - 8.Jun.2001-


早いもので私がエッセイを書かせていただくのも今回が最後となりました。
まだまだ機内でのお話などありますが、今回は私の経歴を少し書かせていただきます。

私が日本を離れ、語学留学に行ったのは約9年前になります。
普通のOLをしていた私は英語を話す事にあこがれ、
貯金をはたいて外国へと渡ったのでした。
その当時1年で帰ってくる予定が何と現在までにいたってしまったのは、
私の欲張りな性格からなのでしょう。

まずESLで英語を勉強した後、通常の大学に入学し、2年間のコースを取り、
卒業しました。(まあ、こう書いてしまうと簡単のようですが、
卒業までには聞くも涙、語るも涙のストーリーがたっぷりとあるのです。)
その後、コースを卒業したものに限り与えられるビザにより、
取ったコースを生かせる仕事に就く事が出来ました。
しかし英語だけではもの足りず、他の外国語にも興味を持った私は、
今度はその言葉の習得の為に、別の大学に入り2年半の間、
その言葉を使って通常の学生と同じコースを取ったのでした。
(これがまた苦しかったです。)その間仕事をする為、また安い学費で
学校に行く為に永住権も取得しました。

そして次の目標を探している時、友人によりある会社がフライトアテンダントを
募集している事を知るのでした。私にとってはせっかく学んだ言葉を活かせる
絶好のチャンスだし、旅行が大好きという私にはもってこい仕事ダ!
という事で飛びつきました。
と言っても世の中はそう甘くはなく、軽い気持ちで受けに行った
最初の面接では、あっさりと私のたくらみ(旅行ができる、うふふ!)
がばれてしまったのでしょうか、結果はNOだったのです。
しかし、負けず嫌いの私は更にエネルギーが湧いてきて、
絶対受かってやる!となったのです。
そしておかげさまで、次の試験には受かり、FAとなり現在にいたるのです。

厳しい訓練の後、私のFAに対する考えはかなり変化し、
みんなの言う<ただの空飛ぶウエイトレス>なんてとんでもないじゃないか!
とわかりました。安全に関してどれだけ航空会社が力を入れているかは、
あの訓練を受けてみないとわからないでしょう。
ま、言いたい人には言わせておこう。わかる人にはわかるんだからと、
最近は熱くなって説明する事もしなくなりましたが。

私にとってこの仕事の利点の一つは休みが多い事です。
外国で日本語が話せる事によってかなりいいスケジュールをいただいてます。
大体月の半分以上はおやすみなので自分のしたい事が出来ます。
一緒に働いてる仲間は、向上心を持ってほかにやりたい事を持っている人が多いです。
例えば極端な話、医者や弁護士になる為の学校に通ってる人や、
レストランや自分の店を経営してる人。
そういう人達と一緒に仕事をしていると、何か自分もしないでいられなくなります。
そんなわけで欲張りな私がまた飛び出してきて、
次の計画を進めて行こうと思っている所です。

以前までは親戚や周りの人から、外国に行ったきり定職にも就かず、
いい年していつまでも学校に行ったりして何をやってるんだ?
という声が聞こえてきました。それでも家族の暖かいサポートに支えられ、
私は今日まで自分のやりたい事をやってこれたのです。
現在の仕事につき、また、先日私の記事がある本に載った事もありまして、
家族や親戚も大喜び。
単純ですが、やっと成果が認められた感じなのです。
日本の世間ではFAはまだまだ花形の職種ではありますけれども、
私のいる国ではたくさんある仕事の中の一つ。
おごることなく、私はいつでも気軽に話しかけてもらえる
庶民的なFAでありたいと思っております。

最近文章を書く事に楽しみを覚えてきています。
まだまだ未熟ではありますが、いつか自叙伝を書く事が出来たらな、
などと考えております。
私の文章を読んで下さった方々、メールを下さった方々、
どうもありがとうございました。
さらに色々な意見をお聞かせ願いたいと思っております。
お時間ありましたらメールをうって下さいませ。
それでは皆様ごきげんよう、さようなら。


neige_k@hotmail.com


ヤコさん,ありがとうございました。
また機会がありましたら,是非ご登場をお待ちしています!

さて,これまで現役FAの方々のエッセイを中心に掲載していますが,
次の現役FAの方の準備ができるまで,次回は元外資系FAの
ムッティーさんにご登場頂く予定です。お楽しみに!


Crew Net






 



Tokyo
( Photo by (c)Tomoyuki.U )

 







= 第20話から第23話までの担当クルー紹介 =



皆さま、はじめまして。
今週から担当させて頂きます、元外資系エアラインクルーこと
ムッティーでございます。
現在は全く違う業界に身を置いていますが、FAの経験は随所で
生かされていると思っています。(自己満足?)
これから4週、どうぞお付き合い下さいませ。



 

第20話 「運命的な出会い」 - 14.Jun.2001-


大学を卒業してから、カナダに短期
留学していた私が日本に帰国した時、
日本経済はバブルが弾けすっかり冷え込んでいました。
「さて、どんな仕事をしようかなぁ。。。ある程度英語を使える
仕事がいいなぁ。。。でも、外資を受けるならインターナショナルな
ニュースを知らないと駄目よねぇ。。。」
そう思いながら、近所の本屋さんにNEWSWEEKを買いに行きました。
経済誌が置いてあるラックの所に行き、手を伸ばそうとした時、
私の目に飛び込んできたものは、

“○○航空フライトアテンダント募集”

と大きく書かれていた、スチュワーデスマガジン
(今のエアステージ)だったのです。

「これだ!!!」
強い閃きを感じた私は、NEWSWEEKのことなどすっかり忘れ、
スチュワーデスマガジンを買って帰りました。

それから約3ヵ月後。。。

ほとんど、航空業界の知識がなかった私ですが、外資系航空会社受験対策
という講座を受けたり、全身写真の撮影をしたりと、思いつくことは全てしました。
気持ちは一気に高まり、「絶対受かりたい!これしかない!!」とまで
思うようになっていました。

一次、二次を何とかパスし、最終面接で。。。

控え室から、面接の部屋まで案内してくれた方は、一次と同じ面接官。
お互い「覚えてるー!」と言い合い、和やかな雰囲気に
一瞬緊張が解けだのですが。。。

面接官の方々と挨拶を交わし、フカフカのソファーに座った時に
困ったことが起こったのです。
受験講座の講師の方に「足がきれいに見えるようにヒールは高め、
スカートはやや短めのものを着て下さい。」
そのアドバイス通りの服装が裏目に。。。
ソファーに体が沈み込んだためにスカートがどんどん上がって来るーー!!
このままでは下着がーー!!
足と体を必要以上にねじりながら、何とか乗り切り面接は進んでいきました。

ところが、またもや思わぬ出来事が。。。
カナダでのルームメイトとの心の交流の話をしている途中、
緊張&当時の気持ちが鮮やかに蘇ってきて気持ちが高ぶってしまい、
少しでもしゃべったら涙がこぼれるー!!という状況に陥り、
しばらくの間沈黙してしまうという絶体絶命の大ピンチに!

面接終了後、すっかり気落ちして帰宅すると電話が鳴っていました。
日本支社の方からの電話で、
「○○さん?書いて欲しい書類があるんだけど・・・・・・・
VISAの申請もあるし・・・・」
一瞬、何が何だかわからず、思わず
「お伺いしたいのですが、私は合格したのですか?」
と質問すると、
「そうよ、合格したのよ!」
というお言葉が!

もう一度、面接を行ったホテルに引き返し、
めでたく各種書類・身体検査の案内を頂くことができたのです。

とんだドタバタ劇を演じた私ですが、内定を頂くことができました。
今までの人生の中でこの時ほど、『縁』というものを感じたことはありません。


次回へつづく。。。。
(来週更新予定です)



 

第21話 「ファーストフライトT」 - 22.Jun.2001-


精神的にも身体的にもハードだったトレーニングが終わり、
初めて、ロスター(一ヶ月のフライトスケジュール表)を
手にした時はちょっとした感動がありました。

記念すべきファーストフライトは、台北経由福岡。
(どのエアラインか想像つきますよね)
その日が来るのを心待ちにしていました。
私がいたエアラインでは、フライングパートナーといって、
始めの6ヶ月程は一緒に飛べるのです。
しかも、私の場合はすごく仲の良かったリカ(仮名)と一緒。
すごく楽しみにしていました。

とうとうその日が来ました。
初めてのブリーフィング。きちんと質問に答えられるかしら?
緊張と興奮でドキドキでした。
最も恐れていたブリーフィングが終わり、飛行機へと移動しました。

しかし。。。

私が乗務し始めたのは7月。
この時期は、台風シーズンで飛行機の揺れがひどいのです。
初めてのドリンクサービスは無事終わり、ミールサービスが
スタートした頃、
「ちょっと気持ち悪い。。。」

そうです!私は飛行機に酔ってしまったのです。

何食わぬ顔でミールサービスを行っていたのですが、
とうとう我慢できなくなくなって途中でトイレに駆け込みました。
吐いても吐いても全く気分は回復せず、逆に次第に呼吸が荒くなり
立ち上がれなくなってしまったのです!
初フライトの緊張と飛行機の揺れがひどかったとは言え、
呼吸が荒くなるほど気持ち悪くなってしまったのは
初めてだったのでビックリしました。
他のクルーに支えられ、エコノミークラスの真ん中
一番後ろの席の肘掛を全部あげた所に寝かされました。
呼吸がおかしくなっていた為、酸素マスクもつけました。
訓練で酸素マスクの装着を勉強しましたが、
まさか自分自身の為に使うとは。。。
夢にも思わなかったことです。

横になりながら、他のクルーに対する申し訳ない気持ちと、
どうにもできない悔しさで涙が溢れてきました。
幸い、チーフを始め日本人の先輩ほか、
その他のクルーもとてもやさしく、私のデューティーをカバーもらい、
何とか福岡までたどり着きました。
「今日はゆっくり休みなさい。」
他のクルーにやさしく声を掛けられ、部屋に行きました。
日本人の先輩クルーから外出のお誘いも頂きましたが、
明日に備え休むことにしました。
リカが心配して部屋に来てくれて、しばらく一緒にいてくれました。
とにかく、自己嫌悪と不安でいっぱいでした。
就寝の為リカが部屋に戻った後もなかなか寝付けなかったのですが、
とにかく、もう迷惑を掛けたくないと思い、何とか眠りについたのでした。


次回へつづく。。。。
(来週更新予定です)



 

第22話 「ファーストフライトU」 - 29.Jun.2001-


翌日は、気持ちも新たに「今日こそは頑張るぞー!
みんなに迷惑かけたくないし。。。」
と意気込み張り切っていました。

お客様をお迎えして、いよいよフライトの始まりです。
「今日こそ頑張るぞー!」
そう息巻いて張り切っていたのもつかの間。
ドリンクサービスが終わってミールサービスが始まった頃
また、始まったのです。
「どうして。。。?」
またもや、トイレに入ったまま動けなくなってしまい、
今回は更に症状がひどくなってしまったのです。
再び、シートに横になり酸素マスクをつける羽目に。。。
しかも、今度は唇や指先が痺れてきて、
体に力が入らなくなってきました。

「このまま、死んじゃうのかなぁ。。。」

生まれて初めての出来事に動揺しつつ、他のクルーに再び
迷惑をかけてしまったことを本当に申し訳なく思っていました。
様々な気持ちの中で、またまた涙が。。。
そんな私をお客様は不思議そうに見ていました。

そうこうしているうちに台北に着きました。
心配してくれたチーフが台北でお医者様に診てもらえるように
手配してくれたようで、お医者様が私のところにやって来ました。
脈を取ってすぐに、
「脈が弱っているから降ろして病院に連れて行ったほうがいい。」
と言われました。
しかし、この時、私は何としても家に帰りたかった!
脈が弱っていようが何だろうが自宅に帰りたかったのです。

「このまま家に帰りたい!」
チーフをはじめ他のクルーの人も私の気持ちを理解してくれ、
再びフライトが始まりました。
私は横になったまま。。。
またもや、皆に迷惑をかけてしまって申し訳ないという気持ち、
何もできない自分への情けない気持ち、もっとも大きかったのは
「これからやっていけるのかしら。。。」
という不安でした。

やっと、無事に到着。
何とか動くことはできたのですが、会社の配慮でお迎えの人が来ていました。
何と!車椅子を持って。。。

チーフや迷惑をかけたクルーに謝罪と感謝の気持ちを伝えました。
皆、口々に「体に気をつけて、頑張ってね。」と励ましてくれ、
それぞれ、飛行機を後にしました。

始めは車椅子に乗る事に抵抗があったのですが、
体に力が入らず、かなりフラフラした状態だったので、乗ることにしました。
空港はお迎えの人でごった返していました。
皆不思議そうに制服を着たまま車椅子に乗っている私を見ていました。
それも当然。
私も、今まで一度もそんなFAを見たことは無いですから。。。
その後、会社にある病院に直行。
そこで、診察と今後の為の薬をもらい帰宅しました。

こうして、私のファーストフライトは終了しました。
「これからどうしよう。。。どうなっちゃうの。。。?」
とにかく、この先やっていけるのか不安で不安で仕方がありませんでした。


次回へつづく。。。。
(来週更新予定です)



 

第23話 「忘れられない言葉 そして最後に」 - 5.Jul.2001-


FAという仕事の最も素晴らしいところは、自分が提供したサービスに対する
お客様の反応がダイレクトに返ってくる事ではないでしょうか?
それは、もちろんこちらにとっても嬉しいことばかりではありません。
自分でも思わぬことでお客様を怒らせてしまったり、
又、逆に思いがけず感謝の言葉を頂くことがありました。

ヨーロッパ便でのことです。
その日のエコノミークラスはほぼ満席でしたが、
穏やかなお客様が多くこちらも気持ち良くサービスをしていました。
その中で、頻繁に飲み物のリクエストをされたご夫婦がいらっしゃいました。
私の担当エリアだったので、休憩以外は私が対応をしていました。
全てのサービスを終了し、飛行機は無事に空港に到着。
お客様をお見送りしていた時のことです。
一人の女性が私の前に立ち止まりました。
その方は、何度か飲み物のリクエストをされたご夫婦の奥さまでした。

私の目を見て、
「ここはエコノミークラスだけど、あなたのサービスは
ファーストクラスだったわ。どうもありがとう。」
そう仰ったのです。
思いがけない最高のお褒めの言葉に、思わず涙ぐみながら
私も感謝の気持ちを伝えました。
この時は、FAになって本当に良かった!!と実感した一時でした。
今でも、この時頂いたお客さまの言葉は私を励まし続けてくれています。
そしてまた、言葉でなくてもお見送りの時に頂けるお客さまの笑顔に
励まされてきたのだと思います。

もう一つ、忘れられないことがあります。
それは、私が在籍していた航空会社の人事の方が、
トレーニングの為に旅立つ前のブリーフィングで私達に仰った言葉です。

「あなた達にとって、これはスタートです。」
普通の人事の方なら、
「会社の為に頑張って下さい。」
という様なことを仰るのではないでしょうか。
なので、なおさら印象に残っているのです。
この言葉も今だに私の心に残っています。
FAになったことがゴールではなく、あくまで人生のスタートだということを
改めて教えて頂いたように思います。

現在は、FAとは全く違う仕事をしておりますが、
FA時代の経験は非常に役に立っていると思います。
時々、FAを辞めた事への後悔のメールを見かけることがありますが、
前向きに考えて行きましょう!
私も、FAが一番自分に合っていたと思うのですが、
今の状況も悪くないかなぁ。。。と思っています。
現役の方はFAであることに、そして、辞めた方もFAの経験が
できたことに誇りを持って頑張りましょう!
素晴らしい経験ができたことに感謝の気持ちで一杯です。

本当に早いもので、今回で最終回となりました。
今まで読んで頂きましてありがとうございました。
感激しやすい方、飛行機酔いをする方、
そして、FA受験で迷っている方に、
「こんな人でもなれるんだなぁ。」
と思って頂ければ幸いです。
ご意見、ご感想、ご相談なんでも結構です。
ぜひ、下記のメールアドレスまでお送りください。お待ちしてまーす!


mutty01@hotmail.com


 






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